高烏谷鉱泉の歴史
昭和の初期、地元の人々が高烏谷山の中腹に
赤渋の湧水を見つけ、これを利用して村の人々の保養に
役立てることができないかと考えたそうでございます。
その後、富県村の有志が篤志組合を設立し、山懐に高烏谷鉱泉
を建設したのが始まりでございます。
以来、地元の皆さんの湯治湯として愛されてまいりましたが、
戦後の混乱期には経営が立ちゆかなくなり、現在の経営者の両
親が戦地から帰国して譲り受け、個人経営となりました。昭和
34年、標高850Mの現在地に移転、今に至っております。
また、終戦後の混乱期には、親のいない子供や体の弱い病弱な子供達が多かったそうです。
そこで、将来を憂いた有志の方々は、今度は高烏谷鉱泉のお湯
を使って、子供達の体を丈夫にすることができないだろうかと
考え、親のない子供も一緒に収容し、かつ生活のできる施設を
高烏谷鉱泉に併設する事にしました。 寄付を募り、昭和26年完成。その年無事に第一期二十数名の
子供達はクリスマスを迎えたそうでございます。
![]() |
![]() |
昭和30年頃の当館 | 昭和60年頃の秋の当館 |
昔は手ぬぐいが赤くなるような鉄分を含んだ渋湯が出たため
”鉱泉”と呼ばれておりましたが、現在地への引水ができない
ため名前だけが名残として使われております。
とは申しましても、当館で使用する水は全て高烏谷山の水を地
下で集水し、使用しております。 お風呂ではこの水に「麦飯石」を使い、よく暖まる人工的な
温泉水としております。 浴室棟は平成8年に新築、ゆったりとお入りいただけるように
なりました。